南米の旅、バルパライソにて 1997年12月上旬にエクアドルのチンボラソ峰登山を終え、アルゼンチのアコンカグア峰登山までの間、チリのバルパライソで過ごしたときの思い出です。
今日はキトのお祭りであった。昨日の夜は前夜祭で町の中はにぎやかだったらしい。私は洗濯と出発準備のためホテルにいて町の様子が分からなかったが、朝食のときに従業員の顔を見ると、みんな寝ぼけ顔だった。 キトでの日々は僅かであったが、楽しく過ごすことが出来た。一人で旅をすると他人との関わりが、いかに大切であるかが分かる。言葉は大切であるが絶対に必要なものではない。大切なことは相手を思う心である。そして、相手に慕われる心である。思いやりを持って誠心誠意ぶつかってみて分かる。そんなことを改めて感じた日々であった。 午後12時20分、キト空港発。 午後8時5分、サンチェゴ空港着。 ホテルから、こちらで手配してくれることになっていた早乙女さんに電話をする。すると、日本の佐藤さんから連絡が入っていないとのことであった。突然の来訪に驚いていた。今日は遅いので明日相談することになる。30度を超える暑さも加わり、心身共々疲れてしまう。
早乙女さんと相談し、宿泊代の安い従業員の川口重行さんのペンションに行くことにする。バスターミナルまで川口さんに送ってもらい、ペンションまでの行き方を教えてもらう。 川口さんに「ペンションには連絡するつもりだが、連絡が取れないときは私からだと言えば大丈夫だ」と言われる。 バスに乗り2時間ほどでバルパライソのテルミナル(終点の停車場)に着く。 コレクティーボ(相乗りタクシー)の乗り方が分からないのでうろうろしていると、フェルナンドという男性がオフィーギンス行きのコレクティーボを拾ってくれる。思わず『グラシャス、グラシャス』と何度も言ってしまった。 ペンションには、すぐに入れてもらえなかった。辞典を見ながら身振り手振りを加えてスペイン語で話すと「ブエノ(分かった)」と言い門を開けてくれる。 重行さんと連絡が取れていたようだったが、正体不明の人間は簡単に入れないようだ。 宿泊代は、食事込みで1日10ドルにしてもらう。ようやく落ち着き先が決まり安心する。 夕食の後、宿台帳のようなものを渡される。すると、ここに宿泊した人達のメッセージがあった。
12月8日 朝早く散歩するつもりであったが、さわやかな朝のせいで寝坊してしまう。バルパライソは海辺の町のため、朝は涼しかった。 サンチェゴにアコンカグア登山隊の用件で出かける。帰りは午後6時頃になるだろうと言って出かけた。 この時期は日暮れが午後9時頃なので、時間を気にせずゆっくりして来る。帰りが午後8時になってしまう。 ナンシーは玄関にて開口一番『遅い!』と言って怒る。ちょっと遅れただけなのに、なぜ怒っているのか分からずシャワーを浴びる。この分では夕食は出ないだろうと思っていたら、夕食が用意されていた。しかもセルベッサ(ビール)があった。 食事をしながらナンシーの小言を聞いているうちに、遅れたことを怒っているのではなく私のことを心配していることが分かった。 始めのうちはまくし立てる言葉で理解できなかったが、日本のツーリストが時々襲われていると手でピストルのまねをしたとき、前後の言葉の意味が分かった。彼女は、私を心配していたのだ。遅れるときは電話をするべきであった。 12月9日 朝食の後、ナンシーが市内に行くので一緒に行く。タダシを連れて歩くのがたいへんなのでタダシの面倒を見てほしいと言う。私は両替をしようと思っていたので、ついでに両替所を案内してもらうことにする。 最初に病院に行く。ナンシーが診察室に入っている間、タダシを抱きながら待っていると、いろいろな人から声をかけられる。言葉が分からないので「私は日本人です」と答える。しかし、みんなは気にしないで声を掛けながらタダシを撫でてゆく。そのせいか、タダシは泣かないでくれた。 次に両替所に案内される。入り口に両替屋が立っており声を掛けてくる。僅かであったがレートが良いので20ドル変える。混雑していたので、目の前で数えたお金を信用して別れる。 彼女は、日本人はおとなしいのでカモにされる。気をつけるようにと言われる。それに、両替所には強盗が目をつけているので、たくさん両替しないようにと言ってくれる。 両替の後、スーパーマーケットに行くと、すぐそばで銃声が2発鳴る。強盗であった。2人組みの強盗は車で逃げて行った。ポリスがマシンガンとピストルを構えながら来たが後の祭りであった。回りの人達は一時だけ注目したが、すぐ平常に戻る。 ナンシーに聞くと、クリスマス前は、お金のない人達が子供たちにクリスマスプレゼントを買ってあげたいため、お金持ちを襲う事件が起きるという。危ないので大金は持って歩かないように、カメラはザックに入れるようにと注意される。 バルパラソに来て以来、肌寒い日が続く。ここではネブリーナといい南極からの寒流であるフンボルト海流が近海を流れるため起きている。三陸海岸のヤマセと同じである。 午前中。ナンシーとセントロへ買い物に行く。私はタダシの子守をしながら彼女の後をついて行く。女性の買い物はどこも同じらしい。あちこち見てまわり、なかなか決めようとしない。結局、食料品を買っただけであった。帰りにパトリックの学校によりタクシーで帰る。 午後から、運動を兼ねて散歩に行こうとすると、パトリックが一緒に行きたいと言う。それではと、いつもより遠くに行こうと上に向かうと、上は危険だと手でピストルのまねをして注意してくれる。
イスラム教の居住区を避けるように山の上を2時間ほど歩く。山の上は見晴らしが良かった。
今日は選挙なので、セントロの周辺は危険だと言う。午前中は家の近くで子供たちと遊んで過ごし、午後からナンシーの投票に付き合う。 投票場は事前に知らされていないので、警戒しているポリスと軍人に聞きながら行った。ここでは男性と女性の投票場が分かれている。しかも地区ごとに分かれているため分かりづらくなっていた。この仕組みは、投票場をテロから守るためらしい。
セントロでクリスマスツリーを買ってきて、ナンシーと2人で飾り付けをする。ナンシーはとてもうれしそうに飾り付けをしている。周りの家を見ると、どの家庭でも窓際にクリスマスツリーを飾り始めていた。僕は真夏にクリスマスをすることに違和感を覚えながら、改めて南半球に居ることを実感する。
サンチェゴのエージェントに打ち合わせに行くと、登山隊からFAXが届いていた。 夕食の後は、いつものようにパトリックと腕相撲をする。今夜はむきになって何度も向かってくる。
朝早くグリョニカが来る。 午後からパトリックとサッカーをして過ごす。 12月18日 昨日はサンチェゴに行き帰りが遅かったので子供たちと遊ぶことが出来なかった。今日は、タダシとパトリックと一日中遊ぶ。 12月19日 昨夜、重行さんがサンチェゴから帰ってきた。なぜかナンシーの機嫌が悪い。朝から口争いをしている。重行さんは犬の身体を洗った後、タダシと一緒に風呂に入る。しかし、パトリックとは入らなかった。 午後からみんなで買い物に行く。パトリックが私のそばを離れず案内してくれる。しかし、いつものようにはしゃぎまわることなく大人のように振る舞っていた。 12月20日 朝早く重行さんがサンチェゴに戻る。 ナンシーに、子供たちの前で重行さんと口争いをするのは良くないと話す。すると『彼は仕事、仕事で家に帰って来ない。子供と遊ぶこともない。何のために結婚したのか。私の相手もしてくれない』と私に対してまくし立てる。 今日もセントロやバザールにクリスマスの買い物に行く。帰ってくるとナンシーとパトリックからプレゼントを頂く。 12月21日 ナンシーたちとお別れの日である。 朝食後、ミクロ(小型バス)を家の前で待っていたが、パトリックが見送りに降りてこなかった。ナンシーに聞くと、部屋で泣いているとのことだった。残念であった。こんな別れ方をしたくなかった。
家の前でナンシーとミクロを待っている時間がとても長く感じた。辛かった。待っていると切なさが増してくる。早くミクロに乗ってここを離れたかった・・・。 ミクロが見えた。ようやく離れることが出来る。すると、ミクロが止まる直前にパトリックの部屋の窓が開いた。
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