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マカルーBCに咲くブルーポピー |
パキスタン・フンザの旅
この地の出身者であるMr.ベイクからきいたところ、富めるものはより多くのお金を差し出し、病めるもの、貧しきものはできる範囲で差し出し、アーガン基金として蓄え、そのお金を学校や病院などを建設する全体の福祉として利用しているとのことであった。そのため、この地では税金を徴収していないとのことであった。まるで宮沢賢治の言っているイーハトーブのようである。 フンザワインを囲んで 異国の地での旅のせいか飲めば飲むほど饒舌になる 僅か一週間ほどの旅なのに気心がふれあい沢山のことを語りあった ただひとりの人とさえ心を打ち解けあうには長い時を必要とするのに 僅かな時のなかで多くの人達と心が通じ合うことができた 楽しいひと時でであった フンザの国の夜のひと時である
旅はそれだけでいろいろなことを語ってくれる フンザの旅はそれをよく物語っていた 1996年8月記 |
モハンダイハウスでの事(苦言・諫言) 昨夜の事である。日本のカメラマンが子供に写真を撮らせてくれと頼み「写真を撮ったのにアメ玉1個しか与えなかった、10ルピーでも与えたらよかったじゃないか」とモハンダイが話したので、「仕事で写真を撮ったならお金を払うべきだが、乞食のように『パイサー、ミタイ』とすがってくる子供たちは、ただお金をくれと言っているので良くない」と話した。 じつは、心の中でたかが写真一枚で『パイサー、ミタイ』というのは乞食みたいな真似ではないかと思っていた。そう言うと角が立つと思い、単にお金だけをくれというのは良くないと話を替えて話した。 すると、モハンダイは「私もそう思う。ただでお金をもらうことは良くない。そんなことを覚えると仕事をしなくなる。ただでお金をもらい遊んでいるのは、浅ましい」と言った。 その時である。突然のように、その『浅ましい』という言葉が私に返ってきた。 自分はどうなんだ。年の半分も仕事をしないで会社の世話になり、しかも、ヒマラヤに行くたびに沢山の人達から餞別を頂いてここに来ているのではないか。私とその子供と、どこが違う。同じではないか。まさに、浅ましい姿ではないかと。 私は常々、自分の生き方を通して子供たちに多くのことを伝えたいと言ってきた。社会の枠の中に納まることなく世界中を見よと言ってきた。しかしそのとき、理想は立派でも現実の姿はどうだろうと思ったのである。 私は、昨年から会社での待遇が良くなり、半年も仕事をしないで山に行って良い状況になった。そのことをある人に話したら『売名行為』またある人は『そのお金の半分は俺たちに』と言われてしまった。冗談なのだろうが、ショックだった。 何でそんな言い方をするのだろう。私はヒマラヤに『登りたい』という単純な気持ちである。それに山での時間を優先するために、最小限の時間を働き、生活を切り詰めながら貯えてヒマラヤに来ている。それなのに、何でそんな言い方をするのだろうと考え込んでしまい、自分の生き方に迷っていた。 写真を撮られた子供が『パイサー』と言ってきたことに対し、写真を撮る側のモラルが貧弱であったため、ただ単に『パイサー』と乞食のようにねだる子供を『浅ましい』と決めつけていたのは私自身であった。 私は、モハンダイが話してくれた人の道の本質をわかっていなかったのである。モハンダイのおかげで見かけだけの姿を気にして、見かけだけの理屈を考えていた自分に気がついた。 1997年3月記 |
友を弔う旅の中で 1997年3月〜4月にかけて、リスム峰遠征の前にポカラで亡くなった友人を弔い、その足でアンナプルナ内院を歩いたときの思いです。 カトマンドゥ・モハンダイハウスからポカラへ出発の朝 今日からアンナプルナ内院へ行く。先ずポカラで門田さんの冥福を祈り、私の心を整理してゆこう。そしてアンナプルナ内院に行き、これからのことを考えなければならない。回りのことにとらわれないで一人になって考える時間が必要だ。 お手伝いのスクウが起きて入り口を開けてくれる。朝もやの中を一人で歩いていると、ちょっとセンチメンタルになる。そして、一人でいるという自覚が出てくる。 『感傷的になってはいられない。自分でやらなければ・・・、自分がやらなければならない』と言い聞かせる。この旅で自分を変えたいと思っていたが、もう迷いはない。私の歩くべき道は決まっている。 日本にいるときは苦しかったが、早めにカトマンドゥに来て良かった。自ら行動することによって、煩っている自分を消滅させることが出来た。 昨夜、Mr.マットとモハンダイに、私たちが地球に生かされていることをチベットやネパールの奥地に住む人々に教えられたことを話しながら、私がやるべきことを思い出したからだ。 彼らとは、お金の意味について、宗教について、人間たちの無秩序な行動(開発・戦争)について、人間が地球の一部として存在していることの自覚について、全ての生き物たちとの共生について話し合う。 そして、人は弱いものだ。だれ一人、ひとりでは生きてゆけない。だから互いに助け合う必要がある。人間たちだけでなく、全ての生き物たちと助け合わなければならないと一致した。 DEURALIにて ヒマラヤに降る雨は身を切るような冷たさだ。暖かい日差しが恋しい。昨日までのまどろむような天気は期待できそうもない。今日は早めにロッジに入ろう。雨と風に耐えて歩くほどつまらないものはない。 ここから雲が切れて青空が見えるのだが、谷間の向こうは雪模様だ。歩いて3時間ほどでしかないのに、冬と春を同時に現している。とてもミラクルである。
CHHOMRONG PANORAMA にて 旅はいい、何ものにもとらわれずに歩く旅はいい。だれのためでもない自分の旅はいい。無理して登ろうと期待に応える登山は自分を見失ってしまう。今の私が本来の姿なのだ。それを忘れずにゆこう。 カトマンドゥ・モハンダイハウスにて 当たり前と思われていた日本での日常を忘れてこの地に来ると、求めていた自分を発見する。忙しさに埋没し日本での事が全てだと錯覚していた私が、いかに無知であったかを知る。今回のたびは、私に光を与えてくれた。
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ディープブルーの光
私は南米の山でその言葉を思い出しながら、その光の中に未来を託す子供たちの姿が見えてきた。そして、次のような言葉が出てきた。 子供たちよ、なぜそんなに急ぐ まだ見ぬ世界が沢山あるのに、そんなに急いでどこに行く 多くのものを見て経験して、そこから生まれる君だけの世界を これからいくつも創造できるというのに そんなに簡単に決めてしまってはいけない これから先、辛いこと苦しいこと沢山あるかもしれない でも、それは君だけではない 山や森、公園に咲く花を見てごらん そして、そこに生きている沢山の生き物たちを見てごらん あんな小さな虫でさえも一生懸命生きているじゃないか 山や森、公園に咲く花は限られたときを精一杯咲いているじゃないか 君だけではない、幸せそうに見える僕だって同じさ 生きよう精一杯生きよう 生きて君だけが創造できる世界をつくり、みんなに教えてあげよう 生きてゆくことの大切さを 決してひとりでは生きてゆけないことを教えてあげよう もう君ひとりではない みんながいるんだ そんなに悩まないで話してごらん 必ずわかってくれる人がいる 必ず聞いてくれる人が、そばにいるから 話してごらん
僕は、この言葉を思い浮かべながら、いつの間にか、地球に住む子供たちの姿を思い浮かべていた。いじめに悩み自殺しようとしている子供、決められたレールから外れないように必死になっている子供、戦争や災害で夢や希望を失っている子供たちの姿である。 1997年12月記 |
ふるさとの山・川を考える ある交流会場のことである。3人のパネリストが演壇の上で、この町のこれまでの歴史とこれからのあり方を語っていた。その中で、彼らは過疎化する町を活性化するため『経済的豊かさが必要だ』そのためには『施設が必要である』と強調していた。 彼らの話を聞きながらハイゼンベルクの言葉を思い出していた。
我々の生態も含めて、生き物たちの世界は離合集散を繰り返している。その中でカオスが生じコスモスが生まれる。ギブソンが唱えたアフォーダンスン論とは違う道筋で出てきた。ハイゼンベルクの唱えた素粒子の振る舞いから導かれた思いである。 彼らの言う地域作りに、なぜ、過疎だから地域活性が必要なのか?なぜ、開発行為が必要なのか?彼らの言う『まほろば』の意味が『おだやか』と言うのであれば、この地に作られてきた『山、川』とそこから見える『空の広がり』を残してゆくべきではないだろうか。 この町に限らず、私たちに残された『ふるさとの山と川』は、経済優先の物社会に利用されてゆくだろう。今一度考えなければならない時ではないだろうか。 1999年1月記 |
ゴサインクンドの叫び ネパール・ヒマラヤにある108つの湖が点在するというヒンドゥ教の聖地ゴサインクンドを回り、首都カトマンドゥに戻るためにバスの始発地であるシャブルベシに泊まったときの事である。 ロッヂで休んでいると、ガイドから一人旅の日本人が隣のロッヂで行方不明になったと話してきた。さらにアメリカ人のミッシングポスターを見ながら、ポリスたちの話によると、ガイドなしで来る旅行者は狙われている。彼らは殺されてしまったのだろうと言った。 それを聞いて、数年前にアンナプルナエリアのチョムロン村で行方不明になった一人旅の日本人女性の事件を思い出した。その女性はガイド料金のことで言い争いになりガイドと別れてしまい、一人で旅を続けていたときにチョムロン村で行方がわからなくなったのである。おそらく持っていた金目の物は取られてしまい殺されてしまったものと思われる。 なぜなら、彼女のものと思われる装飾品を村人が身に着けているという噂が広まっていたからだ。 そんなことを思い出しながら眠ったせいか、次の日の朝『私が何をしたというのだ!』という声が聞こえてきた。
怒り 私が何をしたというのだ あなたが持っているものを見せて欲しいと思っただけさ あなただけが良い思いをして見せびらかさないでおくれ あなたは沢山持っているのだから一つくらい良いではないか 私の妻が、私の子供が欲しがっているじゃないか 私はちょっと見たかっただけなのに何をそんなに怒るのだ 私はこの家の主だ 私のプライドを傷つけたお前をゆるさない 神様もゆるしてくれるだろう こうしてくれる! お前は我々の敵だ! 喜び 私はうれしい 妻があんなに喜んでいる 子供もこんなに喜んでいる 我々の神は何て慈悲深いのだろう こんな私をゆるしてくれる これらは神様からの授かりものだ みんなに話してあげよう 私たちだけが良い思いをしてはだめだ 私たちだけが良い思いをすれば、私たちが殺される 嘆き ああ、なんということだ 妻が、子供が私を責める あれが欲しい、これが欲しい、次は・・・ もういいではないか そんなに欲しがってはだめだ 私は疲れた もう無理だ どうしたというのだ どうして私を避ける ああ、妻が去ってゆく、子供も行ってしまった なぜなんだ なぜこんなことになってしまったんだ 私が何か悪いことをしたというのか 神よ、あなたは慈悲深いはずだ 私に救いの手をさしのべてくれ 私を見捨てないでくれ! 私たちの社会は自ら作り出したシステムに翻弄され苦しんでいる。貨幣社会は封建社会から自由社会へと導いたが、ほんらい求めていた平等社会は、いまだにほど遠い。マネーによる現在の社会システムは新たな体制を作り出してしまい、人間の自由を損なってしまった。 どんなにすぐれた社会体制を作り出しても、そこに住む人間たちが自らの欲望を抑えなければ何の意味もない。先進国の物社会のツケが世界の至る所に出てきている。 このままでいいのだろうか。未来を担う子供たちに伝えられる事は、尽きることのない人間たちの振る舞いの結末だけなのだろうか。何を伝えていったら良いのだろうかと考えてしまう。 私は、子供たちが自然に触れて自分たちの住む世界のことをよく考えるようになって欲しいと思っている。物にあふれる世界の中で、何が大切なのかを考えて欲しいと思っている。そのために、自らの足で歩きそこで感じたことを子供たちに伝えながら、共に考え、共に歩く理想の社会を夢見てきた。 2000年5月記
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ヒマラヤの大地に埋もれて 私は、2001年秋のマナスル登山で遭難した。マナスル峰から10月16日に救出され、17日には日本に帰国し盛岡の栃内第2病院に入院出来た。多くの方々のおかげであった。
ゆっくりと刻む時の中で このまま大地に眠るのだろうか まだ指先に痛みを感じるがどうでもいい 生きることも死ぬこともどうでもいい このまま静かに闇に包まれていたい マイナス40度 湿度0パーセント 透徹した大気の中で私は巡る
いつの間にか眠ったようだ 夜明けの寒気に目が覚める
静かだ 静寂が私を包む テントをたたく風の音がどこか遠くのことのように思える 流れ落ちる雪の音が聞こえない ただ感じるだけだ 静けさが私を包む
空が明るくなってくる やがて暖かい光が差すだろう やわらかな大気が私を包んでくれるだろう まちどおしい
日が昇る 朝日がテントを包む やわらかな暖かさが私を包む 静かに眠る仲間のそばでほんの少し希望が見える あきらめなどはない きっと彼らは来てくれる 信頼は真実となって現れてくれる
のどが渇く 乾いた雪をプラスチックのボトルに詰め込み溶けるのを待つ じっと待つ
やがて溶けて湿ってくる 暖かい日が差しているうち取り出してしゃぶりつく 口の中に吸い込まれてゆく あっという間に無くなる また雪を詰めて溶けるのを待つ 僅かな時がとても長く感じる
風が出てくる 助けに来てくれるだろうか 幻聴と分かっていてもヘリコプターの音が聞こえる 再び凍える闇に包まれるだろうか
明日の朝・・・ 目覚めることが出来るだろうか
もし闇夜が私を導いたとしたら・・・
それもいい それも心地いい ヒマラヤの大地で眠ってしまうのもいい 苦しくはない 静かな眠りがあるだけさ
生きることも死ぬことも どちらでもいい
明日の朝・・・ この大地が私を必要としたなら きっと朝の光に目覚めるだろう 2002年2月6日記 |
私 か ら あ な た へ
私は、この世に何一つ不必要なものはないと言ってきた。存在するもの全てに意味が有ると。私自身はどうだろう。私の存在に意味が有ったのだろうか? 日記を書き始めると、思い詰めていたものを吐き出すように、次々と現れる言葉を手帳に書いていった。
彼の地へ行くことも 再び甦ることも 魂となって彷徨うこともなく 死を受け入れたい 私という存在がこの地に存在できた そのことに感謝したい そしてあなたに伝えたい 生という営みを良く享受しなさい 自分という存在に気がつきなさい 自ら求め 歩きなさい 相手を思いやりなさい 決して傷つけてはいけない 感情に振り回されてはいけない 良く考えなさい ほんとうに求めるものが見えます あらゆるものを感受出来ます 未来を担うあなたへ 伝えたいのはこのことです 2002年9月10日、モハンダイ宅にて |