新蕎麦を食べる会は十二月の第一月曜日に開催された。半年間の結晶は、あっという間に食べられてしまった。 新蕎麦を食べる会が終わった後、ヤマトはアパートに籠ってしまった。蕎麦畑で聞こえた声が気になり、何かを思い出そうと記憶を辿っていた。高校生の時に書いた手帳を読み返してみても分からなかった。もっと前だと思うのだが、考えようとすると別なことが気になり諦めてしまう。何かが邪魔しているようだった。 外の世界では年が開け、元朝参りで賑わっていた。青空が広がっていたので外に出てみた。歩いていると東大通りの桜山神社に来ていた。 参拝した後、通りを歩きながら小学生の時を思い出していた。この通りは、小学四年生から六年生まで夕刊配達をしたところだった。今から四十五年前、9歳の時、兄と共に始めた新聞配達は高校三年生まで続けた。神社の前の通りは昔の面影を残していた。通りの陰にある時鐘は昔のままであった。時鐘の通りにあったスナックはレストランに変わっていた。スナックで働いていたお姉さんは、いつも声をかけてくれた。 (ヤマトちゃん!) 「あっ、お姉さん」 「こんにちは」 仕立屋さんがこの辺りにあったが・・・。 (ご苦労さん!) (ありがとう!) いつも忙しそうにしていた、おじさん、おばさんだ! 9歳のヤマトがここに居た。四十五年前の街が現れた。辺りは、いつの間にか暗くなり星が輝いていた。坂本九ちゃんの歌が聞こえてくる。 「お客さん!」誰かに起こされた。 「あっ、すいません」 ヤマトは、いつの間にかレストランで眠っていた。コーヒーを頼んだ後、うたた寝をしていた。アパートに戻ると、小学生の頃を思い出していた。昨年から気にかけていた『心の中の鎮まっている場所』に入れたと思った。
(ヤマトもそうだよ) 「思い出したよ」 「あの頃は寂しかった、辛かった」 「でも悲しんでいられなかった」 (新聞配達が辛かったの?) 「いや、大変だったけど辛くはなかった」 「働いた分、お金をもらえたから」 (寂しかった、辛かったんでしょう) 「ちがうことだよ」 「小さいとき大怪我をしたんだ」 「身体に大きな傷跡が残ってしまった」 (・・・・・?) ヤマトが小学三年生のときだった。好きだった子に『気持ち悪い』と言われて悲しくなってしまった。みんなから変な目で見られていると思うようになってしまった。 それから孤独な少年になった。そして、不良といわれる少年達と付き合うようになった。彼らは根っから悪い人間ではなかったが、家庭環境に問題があったので反抗的な態度をとっていた。お互い喧嘩をしても、すぐ仲直りして付き合った。彼らも孤独な少年だったから、仲間が欲しかったのだ。共通点は、鍵っ子だった。 でもある時、変化が起きた。仲間の一人が新聞配達を始めたので手伝った。それがきっかけだった。ヤマトは、兄と新聞配達(夕刊)を始めた。 (大変だったね) 「いや、楽しかった」 「自分を一人前に認めてくれて、うれしかった」 「それに仲間がいるから辛くなかった」 「ほんとうの不良にならなかったのは、新聞配達のおかげだった」 「大変なのは、彼らと別れたときだった」 (なぜ分かれたの?) 「中学になった時、学区が違っていたので分かれたんだ」 ヤマトは、何でも話せる仲間と離れたため、また孤独になった。みんなと同じように付き合いたかったが、傷のことを言われるのがいやで、余り近づかなかった。 (新聞配達は?) 「クラブ活動をしたかったから朝刊配達に変えた」 「販売店も変わったので、小学時代の友達とは離れてしまった」 (また不良と付き合ったの?) 「それはなかった」 「子供じみたことはしなかった」 「大人と付き合っていたから、学校の同級生は幼く見えた」 「ませていたと思う」 「早く社会に出て働きたかった」 (どうして?) 「働いて母親を楽にさせたかった」 (父親は?) 「男は働くのが当たり前だと思っていたから、気にかけなかった」 「母親の仕事を止めさせたかった」 (でも高校に行ったのはなぜ?) 「その前に話さなければならないことがある」 (・・・・・?) 「中学三年の時、転向したんだ」 (どうして?) 「引っ越して学区が変わったから」 「その時、僕は大きく変わったんだ」 (話してくれる) 「うん、長くなるよ」 (ヤマトの中に鎮まっているものが見えてきたよ) ヤマトは転向した初日に身体の傷のことを暴露した。前の学校で傷のことを隠していたことがつらかったと話した。けんかの原因も、そのストレスが爆発して暴れていたと話した。自分をさらけ出したヤマトは、憑き物が落ちたようだった。そして、人が変わったように話をするようになった。中でも、泉君とはよく話をした。 泉君は脳性小児麻痺のため吃りながら話していた。決して臆することなく、だれとでも堂々と話していた。 ヤマトは学年祭の時、五百人の生徒の前で、生命科学について遠心分離機を使いながら講演をした泉君に驚いた。傷の事で悩んでいたヤマトは恥ずかしくなった。 泉君と付き合うようになってから本を読むようになった。小さい頃、両親が帰ってくるまで本を読んでいたことを思い出した。 転校した中学では学力試験がなかったので試験に悩むことがなくなった。おかげで朝刊配達をしながらクラブ活動を続けられた。秋になって、進路を決めてから高校受験のためのテストを何回か行った。ヤマトは就職組みのつもりでいたが、母親に諭されて農業高校を受けて農芸化学科に入った。 問題はこの後だった。泉君は学校での成績は良かったが、受験のときに発作が起こり試験に落ちてしまった。それでも、能力があるから来年は受かるだろうと思っていたが、ある時、泉君は死んでしまった。北上川に飛び込んでしまった。自殺であった。 ヤマトは「何で泉君が死ななければならないんだ!」と怒りをあらわにした。 「あんなに優秀な人間が、たった一日の試験で進路が決まるなんておかしい!」 「紙切れに書いた答案だけで人を評価するのはおかしい!」 「こんな世の中は間違っている!」 ヤマトは、大人の作った社会に矛盾を感じてしまった。 (泉君、かわいそうだったね) (ヤマト、辛かったね) 「僕に勇気を与えてくれたのに、なぜ自殺なんかしたんだ!」 「どうして相談してくれなかったんだ!」 「バカヤロー!」 どうにもならない苛立ちがヤマトを苦しめた。 (ヤマトの心の中に鎮まっていたのはこれだ!) 「そうだ!分かったよ」 「大人の分別が、僕を抑えていたんだ」 「もやもやしていたものが見えたよ」 「ありがとう、目覚めた僕に感謝します」 (どういたしまして) 「僕が三十七歳で、安定した仕事を止めて世界の山々を目指した源はここにあった」 「公務員になって安定を求めている自分に嫌悪したんだ」 「あの時『このままでは何も変わらない。自分の生き方を変えない限り無理だ』と、僕の中の魂が叫んだんだ」 「矛盾した社会に反抗したんだ」 (そうだと思う) (ジョンおじさんが話していた) 「ジョンおじさん?」 (流れ星が見えた夜、炬燵で読んだ『銀河鉄道の夜』の主人公だよ) 「あれは夢じゃなかったのか・・・」 「ジョパンニが何か話しかけていたけど・・・」 (その時、イーハトーヴを求めていた賢治の魂が物語を通して心の中に入ったのさ) (そしてジョンは、あなたと共にイーハトーヴを求め、ついにイーハトーヴに辿り着いたのさ) (昨年、蕎麦畑の作業が終わった夜にジョンは旅立ち、星になったんだ) (そして、僕と入れ替わったんだ) 「旅立ちと別れの夢は、ほんとうだったのか」 (うん、だからもっとヤマトの事を知りたいんだ) 「分かった」 「妙なことが続くと思ったよ」 「僕の魂が大きく変わろうとしているんだ」 (そう、僕は《ヤマトの目覚め》だよ) (ヤマトの話を聞いて、ジョンが別れの時に《伝えることが大事だ》と言った意味が分かってきたよ) 「これから、一緒に物語を伝えよう」 (うん!) ヤマトは、テーブルに積まれているノートを見ながら、これから始まる物語を考えていた。 これで序章は終わりますが完了したわけでありません。何度も読み直して手直しをしますので、あしからず御了承願います。 |