県境の奥羽山脈を登る         

 日本に居ると、せかせかと山に登って下りて来る日帰り山行に物足りなさを感じていた。そんな時、19年前にやり残していた「県境の奥羽山脈登山」を思い出して、身近なところにある山々をお金を掛けずにゆっくりと歩いてみようと思った。
 北は青森、秋田、岩手の三県にまたがる中岳から、南は宮城、秋田、岩手にまたがる栗駒山まで、岩手県側の街道で繋げながら県境の山々を登ってみた。

 199710日 雨のち晴れ(田山町〜中岳〜田山町)           

 昨日、二戸市民文化会館の講演会のあと、松本さん宅に止めて頂く。そして、出発の起点となる安代町の田山駅まで送ってもらう。

 待合室に入ると、おばあちゃんが2人いて盛岡行きの電車を待っていた。2人に三県の県境にある四角岳・中岳の登山口を聞く。

分からないと言われたので、行く途中にある切通し(集落の地名)を尋ねる。すると花輪方面に100mほど行き右に曲がって行けば良いと言われる。

地元の人なのに山のことは分からないと言われて少々不安となる。しかし、岩手県の観光案内図に載っているので標識か案内図はあるだろうと思い、雨の中20kgの荷物を背負い午前9時20分にスタートする。

1時間ほどで集落を抜け砂利道となる。さらに1時間歩くと伐採したブナの大木を集積している所に着く。作業員の人に登山口を尋ねる。この先にあると教えてくれる。

また1時間ほど歩く。左側に中岳登山口と書いている小さな標識を見つける。辺りは草に覆われており登山道が分かりづらかったが、5分ほど歩くと踏み後が見えてくる。

登山口から1時間くらいの所に分教場の跡を刻んだ石碑があった。以前ここに集落があったのだろう。今は石碑以外なにもない。人々が住んでいたという形跡は見当たらなかった。

歩きながら、こんな奥深い山の中でどんな暮らしをしていたのだろうかと思いを馳せる。ここで勉強していた子供たちの姿がドキュメンタリーの一コマのように浮かんでくる。ヒマラヤに住む子供たちの姿と重なってしまう。

午後3時30分、中岳頂上に着く。四角岳の頂上は藪に覆われていて分からないので諦める。記念写真を撮り早々に下りる。

30分ほど下りると空が晴れてくる。森の中に日が差してきて明るくなった。青々としたブナの葉が輝いてきた。

しかし、道脇に捨てられている空き缶などが目に付いてしまう。大きな穴の中に沢山捨てられていた。なぜここに捨てて行くのだろう?人気のないこの山で捨てられているということは、目に付くことのない山々はゴミだらけになっているのではないだろうかと思ってしまう。

午後5時、登山口に着く。予想以上に時間が掛かってしまう。林道を歩いているうちに日が暮れてしまうが、野宿しないで国道まで行くことにする。

午後7時30分、集落の商店で兄畑に泊まれそうなところを聞くと、今からでは夜中になってしまう。それに泊まれそうな場所はないと言い、田山駅前の旅館を世話してくれる。

午後8時、旅館に到着。今日の行動時間は11時間も掛かってしまう。予定では兄畑まで行き明るいうちにテントを張るつもりでいた。どうも幸先が悪い。気を引き締めて行こうと肝に銘じる。

9月11日 雨のち曇り(田山町〜八幡平草の湯)

午前6時30分出発。今にも降りそうな雲行きである。玄関を出ようとすると、ポッリポッリと降り出す。

 館市小学校の手前で小学校2〜3年と思われる女の子たちが追い越して行き、振り返りながら「おはようございます」と挨拶をする。素直なまなざしが心に残る。

 館市小学校から南側の村道に入る。登山道は袰部部落から智恵の滝の脇を兄川に沿うようにあるはずと19年前の国土地理院の地図を見ながら行く。しかし、袰部部落はなくなっていた。

道なりに歩いていると分岐点に智恵の滝への標示があった。地図にない道路であったが、登山道に通じると思い入る。30分ほど行くとまた分岐点が出てくる。これでは迷ってしまうと思い山菜取りに来た車を止めて尋ねると、あきれたように、ここからの登山道はもうないと言う。

そして「登山道は最初の分岐点まで戻り、そのまま舗装道路を上がると右側に[八幡平草の湯コース入口]という標識があるので、その砂利道を上って行くと登山道に出る」と説明してくれる。最初の分岐点に戻り、舗装道路を上って行く。

午後2時、八幡平草の湯コース入口着。言われたとおり砂利道を上る。作って間もない砂利道が続く。高度計を見ると標高1200mを標示していた。ここは国立公園内に入っているはずである。新しい車道に疑問を持つ。

午後4時、砂利道の末端に着く。ここで温泉を掘っていた。大型のバックホーンが大型トラックに残土を載せて、下の平場に運んでいた。何を造るのだろう?よく開発の許可が下りたと思う。登山道の方向を工事現場の人に教えてもらい藪の中を行くと5分ほどで踏み跡に出た。

午後5時、草の湯に着く。稜雲荘までは3時間以上掛かると思われるので、ツエルトを張る。

せっかくだからと思い露天風呂に入ると、温い!しかも海草のような湯花が身体にまとわりついてきたので、思わず湯から出ると、寒い!

しかたがないので我慢してまた入り温まるのを待つ。しばらくして、いくらか身体が温まったあと湯花を落としながら出てテントに戻る。ガスコンロをつけて身体を乾かしながら食事を取り早々にシュラフに入る。

9月12日 晴れのち曇り(草の湯〜八幡平〜松川温泉)

テントを片付けていると中高年の夫婦が登ってくる。下の登山道を尋ねると、下から歩いて来るのであれば以前の登山道の方がはるかに早いと教えてくれる。

         

午前6時30分、出発。天気が良くなってきたので写真を撮りながら登る。リンドウの花が至る所で咲いていた。

午前10時、八幡平の頂上着。頂上の櫓から眺めると、秋田県側は色好き始めて秋の気配が漂って来た。一雨ごとに寒さが増して来るようだ。

県境のレストハウスで食事を取り休む。休んでいると身体がだるくなり、左足の筋が痛み出す。もう少し休みたかったが、今日中に松川温泉に行きたいので1時間ほど休んで出発する。

八幡平の従走路は暖かい日差しを浴びながら歩くことが出来た。濡れた靴で歩いていたため靴づれが起きて豆が出来ていたので、休息のたびに靴と靴下を乾かしながら行く。

大深山荘に午後4時着。
 この分だと松川温泉には午後5序30分ころに着くと思い下り始めたのに、源太岳への分岐点まで1時間も掛かってしまう。疲れたせいで遅いのだろうと思い少し休んで降り始めると、身体の動作が鈍くなる。すると以前も同じような症状になったことを思い出した。すぐに水分とスポーツ補給食ザバスを取る。案の定、身体の動きが良くなった。

じつは、10年前の冬に甲斐駒岳の氷爆を単独で登り危険な場所を抜けて稜線で一息ついたとき、同じように身体が動かなくなったのである。あの時は、長時間、飲まず食わず行動した後で緊張感が抜けてしまったことも原因であった。その時は、水筒が空だったので雪をなめ、ポケットに入っていた飴玉をしゃぶりついて普通に歩けるようになった。

今回は、たかが低山と高をくくって歩いていたため、余り飲まず食わず長時間歩き続けたのが原因だったと思われる。

歩き始めて3日目、疲れが出始めているのを自覚しないで無理をしていたことも原因だった。「重い荷物を背負い無理をしていることを忘れずに歩いて行こう」と言い聞かせる。

午後6時40分、松川温泉に着く。しばらく振りで来たので間違って奥山道に向かってしまった。舗装路に下りたときは暗くて分からず、標示板をライトで照らして奥山道に向かっているのが分かった。しかし、いこいの村と標示してあるのはどういうことだろう?ここからどこを通っていこいの村まで行くのだろう?

午後7時、テント泊では疲れが取れないので峡雲荘に泊まる。

 
 9月13日 曇り後雨(松川温泉〜岩手山)

 午前9時20分、今日は岩手山までなのでゆっくりと出発する。昨日までは毎日10時間以上歩いていたが、今日は6時間もあれば着くと思われるので気が楽である。

 午後12時、姥倉山着。雨が強くなる。しかし、3時間も歩けば八合目の小屋に着くのでのんびりと行く。

 午後3時20分、八合目小屋着。小屋に着くと福岡山好会の人達が小屋番で来ていた。山の仲間が沢山来ており楽しい一夜となった。


 9月14日 曇り(岩手山〜大深山荘)

 7時30分発。頂上に30分ほどで着く。お鉢の草花は紅葉していた。ここだけが秋の装いであった。お鉢から御苗代湖に下りる。

お花畑ではリンドウが咲いていた。ナナカマドの実が赤く際立って見える。この時期に日本の山を歩くのが久しぶりであったせいか目に映るものがとても新鮮であった。

大松倉山を過ぎると下に奥山道が見えた。工事が中止になり車が通っているはずがないのに、車の音が聞こえる。

午後5時、大深山荘に着く。小屋の中は満杯であった。ほとんどが連休を利用して県外から来ている人達である。なかでも東京から来ていた人達は、乳頭山からの稜線を歩き、湿原とブナ林に感動していた。そして、花の咲く時期にもう一度来たいと話している。いつまでもこのままであって欲しいと思うのは私だけではなかった。私はこのままの自然が好きだ。この豊かさを守ってゆきたい。


 9月15日 曇り(大深山荘〜黒湯温泉)

6時55分発。外は濃いガスが立ち込めて肌寒い。

八瀬森辺りから展望が良くなるが、空は厚い雲で覆われてたる。湿原はベージュ色に包まれ秋の気配である。ここはニッコウキスゲの群落地である。夏の日差しにまばゆいほど咲き乱れている姿が懐かしく思えた。

蟹場温泉への分岐点から温泉郷に下りる。

午後5時15分、黒湯温泉に着く。19年前に栗駒山から来て、台風のために停滞して休暇が足りなくなり諦めた所である。今回は充分な日程がある。気力もある。あせらずにゆっくり行こう。ビスタ〜リ、ビスタ〜リ。

9月16日 曇り、風強し(黒湯〜駒ケ岳〜国見温泉)

目を覚ますと風が強い。台風の影響である。19年前と同じになった。

7時20分、自炊部屋の人達に「気をつけて」と声を掛けられて出発する。気さくな言葉の中に気づかう心を感じた。人里から離れた土地で見知らぬ人達と心触れ合うひと時が何ともいえなかった。

乳頭山の頂に立つと駒ケ岳の笠雲が掛かっていた。悪天の兆しである。

横長根の分岐点から横殴りの雨となる。阿弥陀小屋で食事を取った後カメラだけを持って女目岳の頂上に行く。

午後3時40分、土砂降りの中、国見温泉森山荘に着く。一番はずれの部屋を貸してもらい衣服を乾かす。温泉に入った後にテレビを見ると、台風19号が四国を通過中であった。この分だと明日も雨である。


 9月17日 雨(国見温泉〜鶯宿温泉)

 やはり雨で始まる。雨足が強いので、出発までに小降りになって欲しいと思うがダメだった。

 今日は,雫石町を通って鶯宿辺りまでである。この雨では野宿をするには橋の下が良いだろう。どこか安く泊まれる所があれば泊まりたいと思う。

 9時10分、土砂降りの中を出発する。春木場より鶯宿温泉への近道を通る。沢内村と鶯宿温泉との分岐点で沢内村方面に宿があるか尋ねると、無いと言われる。テントが張れそうな所が無いので温泉街に向かう。すると民宿の看板がちらほら出てくる。なんとなく安い宿がありそうな気がして足取りが軽くなる。

午後5時、最初に目に付いた「民宿ほそかわ」に行く。びしょ濡れであったので、ちょっと気が引ける。おかみさんに泊めてもらえるかと尋ねるとびっくりしたようであった。しかし、訳を話すと「いいですよ」と言ってくれる。宿代は、2食付で5500円とのことであった。この辺りでは一番安いお宿であった。

ここの風呂場には大黒天が祭ってあった。大変ありがたい温泉である。やや温めのお湯なので身体が芯まで温まり気持ちの良いお湯であった。


 9月18日 曇り時々雨(鶯宿温泉〜沢内村猿橋)

 朝食は家族と一緒に取る。昨日の夕食といい食べきれないほどのご馳走である。しかも昨夜はビールを2本も頂いたのに、5500円しか受け取らない。おかみさんの思いやりに胸が一杯になる。

 午前9時、何度もお礼を言い出発する。幹線道路から沢内村に行こうとすると、裏の山道が近道だと教えてくれる。

 歩きながら、こんな楽しい旅が出来ることにうれしくなってしまう。小雨が降っていても気分が良かった。来年もどこかを歩いてみようと思う。

 貝沢トンネルを抜けると日が差してくる。台風が来ているとは思えない天気となった。道路わきで濡れた靴を乾かしながらひと寝入りする。しかし、30分ほどで雲行きがあやしくなる。すぐに歩き始めると、ポツ、ポツと雨が落ちてくる。

 午後3時30分、和賀岳登山口への入り口に着く。ここから登山口まで4時間位かかりそうである。

雨で濡れているので近くに泊まれそうな所がないかと民家の軒下で雨を避けて地図を広げていると、家の主人に「何をしている」と言われる。

 旅をしている理由を話して、この近くにテントを張れる所がないかと尋ねる。すると、この辺りにはない。寝るだけだったら家の土間を使っていいと言う。中を見せてもらうと、以前やっていた店舗あとの広い土間があった。これも縁と思い遠慮なく使わせてもらう。ご主人はトラックの運転手をしており、今日はたまたま休みであった。

 午後4時30分、奥さんが帰ってくる。私を見てびっくりする。しかし、訳を聞くと「ご苦労さん。たいへんですね」と納得してくれる。学校から帰ってきた子供たちも、お父さん、お母さんと同じようであった。日本もまだすてたもんじゃないとうれしくなった。

夕食のときに旦那さんが作ってくれたカジカ汁をご馳走になる。おいしかった。この人達のあったかい心に感激する。ダンネバ!

 この山旅をして良かったと思う。日本でも、心の触れ合いがいかに大切かを学ぶ旅である。

 9月19日 雨(猿橋〜和賀岳〜沢内バーデン)

 午前6時20分発。登山の帰りに寄ってゆくと話して、雨の中を出発する。

 午前8時30分、和賀岳登山口。

 登り始めると雨が強くなってくる。和賀川の渡渉点が増水していないか気になっていたが、着いてみるとたいしたことがなかった。この分だと帰りも大丈夫と判断し、胸突き八丁を登る。

  

 午後1時25分、頂上に着く。風雨が強く、視界は10mほどであった。すぐに引き返す。登山口には3時間で戻る。

 午後6時10分、お世話になった家に寄る。また泊まるようにと言われたが「明日は真昼岳に登りたいので、もう少し先まで行きたい」とお断りする。すると、この先に泊まれるところがないかと探してくれる。

 沢内バーデンが空いていたが、ここからだと3時間くらい掛かりそうだった。電話で係りの人に「午後9時30分くらいになりますがよろしいですか?」と尋ねると。「迎えに行きます」と言われる。理由を言い「歩いて行きます」と答えると「よろしいです」とのこと。この村の人達の心遣いに感謝する。

 歩き始めて1時間、真っ暗になる。ここは歩道が狭く街灯が少ないので、夜に歩くのは危険であった。車が車線一杯に寄り、スピードを出している。学校に自転車や歩いて通う子供たちが危険であった。

 午後9時35分、沢内バーデン着。手前で、夜空の雲が切れて星空が見えた。星くずが散りばめたような夜空であった。まさに、ここは銀河高原である。足の痛みを忘れてしまうほどステキな星空であった。



 9月20日 快晴(沢内バーデン〜真昼岳)

 8時40分発。今日は久しぶりの快晴である。昨日は15時間余り濡れた靴で歩き両足の豆がまたつぶれてしまった。急いでもしょうがない。ゆっくり行こう。ビスタ〜リ、ビスタ〜リ。


      

 真昼岳兎平コース登山口に4時間も掛かる。入り口に、ネパールにあるような小さなつり橋があった。太陽の光が差し込みブナの林が輝いていた。1時間ほど登ると稜線に出た。そして、灌木とススキの中を漕いで行くと2時間足らずで頂上に着く。秋田県側を見渡すと黄金色の平野であった。おそらく千畑町から六郷方面だろう。見渡す限り山並みの岩手県側とは対称的な風景である。

 午後5時25分、登山口に戻る。天気が良いのでここにテントを張る。

 9月21日 曇り後雨(真昼岳〜ゆぜ錦秋湖駅)

 昨夜は、川の音を聞きながらぐっすりと眠ることが出来た。天気が良ければ毎日でもテントに泊まりたいのだが、今回は望めそうもない。空はまた曇ってくる。

 午前7時発。昨日は車道を余り歩かなかったので足が痛くない。出足は快調である。途中、レストハウスで昼食を取る。久しぶりに昼食を取った。昼食を取りながら残りの行程を考えると、あと3〜4日で終わりそうである。焼石岳を越えることが出来れば目的を完遂できると確信する。レストハウスから1時間で南本内山への分岐点に着く。

 午後3時40分、湯田錦秋湖駅に着く。近くの酒屋さんに、南本内山登山口までの時間を尋ねると、車で30分位と言う。しかし、キャンプ場は歩いて30分ほどの所にあると教えてくれる。

 雨が強くなってきたので雨が止むまで、ここにある温泉(穴ゆっこ)に入り様子を見る。

 しばらくいたが一向に晴れそうもなかった。どうしようかと思い温泉の人達と旅の話をしていると、駐車場の屋根の下を使っていいと言ってくれる。営業は午後9時までだからゆっくりしたらいいとも言ってくれた。足も痛むのでもう少しゆっくりさせてもらう。

 午後8時30分。駐車場は夜遅くまで車の出入りがありそうなので駅に泊まることにした。温泉の方々にお礼を言い駅に行く。最終便のあとシュラフを被りベンチに横になる。



 9月22日 曇り(ゆぜ錦秋湖駅〜焼石岳〜ツブ沼)

 外が明るくなってきたので起きて朝食の準備をする。今日も長丁場になりそうなのでラーメンを2つ食べる。

 午前6時15分発。昨日ゆっくりと温泉に入ったせいか足の痛みが薄れていた。何とか歩けそうである。

 1時間ほど歩くと夏油温泉と南本内山との分岐点に着く。夏油温泉に行く道は工事中で通行止めであった。南本内山に変更しようと思っていたので丁度良かった。

 午前10時15分、南本内登山口。

 午後1時10分、南本内頂上に着く。お花畑コースを歩いてきたが、見事な湿原であった。夏は沢山の高山植物が咲いているだろうと思われる。

 しかし、脚光を浴びてくると八幡平のようになってしまうと危惧してしまう。先ほどの道路工事といい、奥深くまで入り込んでいる多数の林道を考えると、何か大切な事をなおざりにしているのではないかと思う。 
 霧の中、頂上を少し下ると小さな池があった。南本内川水源地と標示してある。こんなところに池があるなんて、と驚いてしまう。そして、身体の奥から叫びたいような衝動が起きる。


 命の水。多くの生き物たちの源がここにあった。ここだけではない。全ての山々は天空から降りそそぐ無機質の水分をうけとめて、生き物たちに公平に命の源を与えている!


 幻想的な霧の中で、今まで体験したことのない感動に包まれる。

 午後2時10分、焼石岳頂上。

 頂上を降りて姥石平から振り返ると、頂上付近だけが赤く色づいていた。またいつか訪れることが出来ますようにと、祈りながらツブ沼を目指す。


 午後5時30分、ツブ沼着。連休の中日なのに登山道では、だれとも会わないでしまう。先週の裏岩手山に比べると、随分と違うものだ。雨に当たることなく、1日で来ることが出来て良かった。

 この分で行くと明後日は栗駒山に着く。もう大きな障害は考えられない。もう少しで目的を果たすことが出来ると思った。と同時に、もっと歩いてみたいと思ってしまう。

 9月23日 曇り(ツブ沼〜真湯温泉)

 8時10分発。石淵ダムの工事現場を遠目に見ながら歩く。人間たちの行いが将来に禍根を残さなければと思ってしまう。


私たちの必要としている豊かさとは、大きな経済活動がなければ得ることが出来ないのだろうか?何か大切なものを犠牲にしていないだろうか?と考えてしまう。

 午後2時10分、祭畤着。ここまで来る間、所々、林道が整備されていた。おそらくダム工事に伴う開発道路だろう。水特法により国から補助金が出たのだろうか?そうでなければ、ここに沢山の県税を掛けるはずがない。

 午後3時20分、真湯温泉に着く。真湯温泉に泊まる。

 ここで林業新報を読む。気になる記述があった。


 古代から中世の日本は沢山の木を利用して生活をしていたため、多くの木を伐採してしまい禿山状態になってしまった。そのため大きな災害に見舞われてしまい山の木の大切さに気がついた。

 その後の為政者たちは植林事業を始めて長い間山を守ってきたが、現在は戦後の乱伐と木材市場の低迷により手入れが出来なくなり荒れてしまった。

 山を守るために間伐や下刈りをしなければならない。そのためには営林事業が必要である。

 確かにそう思う。現在の営林署は独立採算が出来ないので国の手助けが必要である。

 しかし、私が今回見たものは、奥深くまで林道を造り昔の人達が手を掛けることが出来ないような場所から大きなブナの木を切り出していた様子と、観光目的が明らかと思える林道の整備であった。

 9月24日 雨(真湯温泉〜栗駒山)

 午前9時10分発。4時間で須川温泉に着く。

 午後3時45分、栗駒山頂上。

 午後5時15分、須川温泉に戻る。県境の奥羽山脈登山を終える。





終わりに

仕事の都合で当初の計画より1ヶ月後の出発としたため、台風と秋雨前線の道中となってしまった。
お金は15日間で6万円掛かる。
予定をオーバーしてしまったが、民宿などの宿泊を8回もしてしまったのでしょうがない。
それに、お金で得ることが出来ない経験をさせてもらったので高いとは思わない。

今、ふり返れば、なかなか味わうことが出来ない山を巡る旅であった。
思い出すと、ほのぼのとして心が温まることばかりであった。
また、20年後にやってみようかと思う。



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